人間として生きる意味
人間だれしもが一度は突き当たる究極の問題。日常生活のすべての行動の支えとなる理由。太古の昔より賢者たちが議論を交わしてきたにもかかわらず、未だに解決されない問題。
生きる意味と聞かれて、言葉に詰まる人は多いのではないか。はたまた、生きる意味について深く考えていない人もいるだろう。
この究極の問いに答えを出す人は、ほぼ必ず人間としての生きる意味を答える。
おいしいものが食べたいから。 楽をしたいから。 好きな人を幸せにしたいから。
生きる意味を探すため。 死ぬのが怖いから。
生物として生きる意味
でも、生きているのは何も人間だけではない。サルだって生きてる。カゲロウだって生きてる。その辺に生えてる木だって生きてる。細菌だって生きてる。
何のために?
生きる意味というものは、実際は無い。
ひどく抽象化されているから、あまりピンとは来ないけれども、本当に無い。
生きることは本能なんだ。無意識的というか、機械的というか。
心臓の鼓動を意識的に止められないのと同じ。息が無意識に行われているのと同じ。いわば自分たちは生かされている。無意識の自分に。
これを聞くとひどく落胆する人も多いだろう。自分は苦労して、能動的に、希望をもって生きてきたはずなのに、勝手に生かされていただけなんて。
でも、ここで一つ疑問が生まれる。「じゃあ、今落胆している自分はだれなのさ。」
それが、この問いのミソなんだ。
意志の力
ここで意志という単語が出てくる。
意志は自分の意識の中で、何かを正しいと信じている部分だ。意志は強い力を持っている。
未来を変える力。
これこそが意思の持つ特別な能力で、生きる原動力ともなる力である。
ニーチェは言った。
超人となるためには、強い意志を持たなければならない。と。
ここで最初の問題提起に振り返る。
生きる意味は?
答えは以下の通りである。
生物としての生きる意味はない。
ただし、意志を持つものの生きる意味は、自分の意志がどれほど強く、そしてどれほど世界を動かせるか試すことにある。
もしそれが嫌なら、自分の意志で自殺するがいい。それもまた、意思の持つ力を示すことになる。自分の命を奪えるほど強いことを。